このコロナ下ではあるものの、何度か温泉寺に通い、住職にお話をお聞かせいただいたり、祈祷を見させていただきました。毎日繰り返し続ける祈祷は仏様のようにありたいと思い、あれないということを思いつつも少しでも自身を高めていく行為であり、この世のために祈り続けるその姿は舞踊のように美しいと思われました。
毎日同じことを繰り返すので、と言いながら、経本はほとんどみない。毎日繰り返すバーレッスンやストレッチ、身に染み付いた振付に似ています。一方で、それはみられるから行うというものでもなく、見る人がいようといまいと、日々の糧としてただ続いていくだけのことなのです。
コロナウィルス は確かに人命を脅かすものかもしれません。この豊岡でも演劇祭が中止になったり、観光地である城崎温泉も厳しい状況であることが感じらます(鳥取でも同様です)。しかしウィルスもまた生命であり、そこに存在するものであるならば、ある種の必然であったのではないかと最近考えるようになりました。多くの天変地異や温暖化も含め、今の私たちの暮らし方そのものを少しずつ変化させていかねばならないし、今のままではダメだよと仏さまなのか、自然からなのかメッセージを、私たちは受け取っているのではないでしょうか。
古くから伝わるものにはなんらかの大切なものが含まれています。最小限何を大切にしなければいけないのか、住職の毎日のお勤めはそんなことを考えさせられるきっかけになりました。まずは毎日の暮らしを見直してみましょう。この参道の美しさや、季節による虫の声の変化、道を彩るきのこや苔たちに気がつくようになったのは、このコロナ下になって以降のことです。自然の営みはそんなに変わっていないにも関わらず気がつけていなかったことが見えてくるようになりました。豊岡は(そして私が住む鳥取は)自然が豊かに残っている土地であり、自然によって生かされていると感じることができる場所でもあります。気持ちを鎮め、少し歩みをゆるめてみることで見える景色が変わってくると感じます。
この土地に今このタイミングで生まれついているということ、今日、同じ時を過ごしているということはある種の奇跡であり、幸せなことでもあります。大変な状況ではあるものの、それでもお会いできてよかった。お越しくださった皆さま、ありがとうございました。そうして励まされる営みだからこそ、規模は小さくとも、あるいは形を変えたとしてもパフォーミングアーツは続けていかねばならないと強く思っています。
次は33年後でしょうか。私はもういないかもしれません。(残念ながら今回関わってくれたスタッフ、お客様の多くも。)それでも、十一面観音さんは静かに微笑み続けるのでしょう。コロナでも、異常気象でも、様々な天変地異は今後も起こっていくとしても、それもまたこの世の理。
それでも今、この瞬間に感謝して。
木野彩子
Stuff
照明 三浦あさ子、田中哲哉
記録 田中良子、bozzo
Special Thanks
小川祐章(温泉寺)
用語解説
温泉寺
温泉寺は道智上人により天平10年(738)に開創された古刹。 その昔、道智上人は衆生済度の大願を発して、諸国をめぐり、養老元年に城崎の地に来て、鎮守・四所明神の神託(夢告げ)により、一千日間ご修行をされ、その功徳あって温泉が湧出したと言う(現在のまんだら湯)。それゆえ城崎温泉は養老4年(720)に開かれたとされ、温泉寺は1300年の長きにわたって人々の営みを見守り続ける存在であったと言える。
温泉寺縁起( 城崎町指定文化財 )
薬師堂、本堂、多宝塔、奥の院とあり、城崎ロープウェーで結ばれている(現在コロナ下ということで減便中)。本堂は国指定重要文化財。
十一面観音
33年に一度3年間開帳される秘仏十一面観音。コロナ下ということもあり本来であれば2021年4月までの開帳期間を延長し10月末までとなった。この開帳期間、住職は毎日欠かさずお勤めを果たし、寺を開けることなく守り続けているという。なお、大和(奈良)の長谷寺の観音さまと同木同作と言われ、以下のような説話が残されている。
奈良時代の仏師嵆文は大和長谷寺の二丈六尺の十一面観音像を造った時、もう一軀の観音像を造らんとしたが完成せず、そのまま海中に投じたが、後に嵆文が湯治のため城崎を訪れたところ円山川河口近くの田結庄にこの像が漂着していたのに出合った。仏縁の不思議さに感じ、像を完成し、道智上人を迎えて温泉寺を開創したという。(HPより)
死者の書再読
木野が2018年9月に城崎国際アートセンター(KIAC)にて滞在制作を行なって制作した作品。その後12月に鳥取にて公演を行った。
「死者の書」は民俗学者として知られる折口信夫(詩人としては釈迢空として活動)がえがいた長編小説。主人公である郎女に自身がなって書いたとするほど思い入れが深い作品であるが、その内容は難解とされている。この作品の舞台となっているのが二上山、當麻寺(奈良県)で、所蔵している當麻曼陀羅(正式には観無量寿経浄土変相図)及びそこに残る中将姫伝説から着想されたと考えられている。折口自身の恋(同性愛として秘められたものであったと言われる)を重ね合わせていくことで見えてくる部分もあり、小説をベースにしつつ、舞踊化することで、その心情をあらわすことを試みた作品である。
この當麻寺も温泉寺もともに真言宗のお寺(當麻寺は浄土宗と2宗)ということもあり、住職が公演を見にきてくださったことや、その後少しずつお話を伺うようになったのが今回の企画の始まりでもある。中将姫(死者の書では郎女)は滋賀津彦の俤(おもかげ、あえて折口はこの字を当てている)を見、曼荼羅をおるのだが、おもかげとほとけとは等しく、おそらくこの十一面観音さんのような存在だったのではないかと感じてしまう。
あれから3年。今回は見守ってくれていた十一面観音さんにお礼を述べ、これから再び長い眠りにつく前に、想いを鎮めるための会でもある。
曼荼羅
曼荼羅とは本来仏教の教えを文章や経で理解できない方のために、図示したもので、かつてはすべて砂で描いていた。その後儀式を簡略化するために布でおるようになったという。「死者の書 再読」取り上げた當麻寺曼荼羅は4M✖︎4Mの大作で、これを中将姫は1日で織り上げた(しかも蓮糸で)というが本当のところはどうだったのだろうか。現在の技術においても熟練した織り師ですら幅23cm×丈19cmの部分復元模造品を織るのにほぼ40日かかるという。(奈良国立博物館『糸のみほとけ展』2018)そのような奇跡も含め、伝説となり、現在の浄土信仰に繋がっている。
多くの糸が多層に重なりながら様々な仏の関係性を示す文様を描いている。その多層性が世界を表しているのであり、多くの横糸は表面上見えなくとも、その存在がなければこの世の中全てが成り立たない、そんな教えを秘めているように思われる。すべての生命が、また物質がそれぞれに必然を持ち存在している。
現在木野が制作するプラネタリウム用レクチャーパフォーマンス(11月公開予定)では宇宙の理(マクロコスモス)と身体の理(ミクロコスモス)を重ねて解説しているが、曼荼羅、特に胎蔵曼荼羅の考え方は大日如来を中心におき、それらを解説する図でもある。長らくアジア、東洋の国々では天体の変化と人体への影響を暦や易を用いて読み解いてきた。各宗教、流派ごとに名称等違いはあるものの、自然(宇宙)と人々の命が呼応関係にあり互いに影響しあっているという指摘は共通している。これは自我のある人間社会を中心とした西洋における哲学体系とは全く異なる流れであると考えられる。湯浅泰雄の『身体の宇宙性』はそれらをチベット哲学を中心にまとめ、一般向けにわかりやすく記載している。
また、近年自然科学の面からも、東洋思想の影響を受け、長い時間スパンで進化や生命を捉えようとする「生命誌」(中村桂子による)と呼ばれる研究視点が取り入れられるようになってきている。それらの研究者の多くが南方熊楠や宮澤賢治の思想に影響を受けており、特に南方の提唱する「南方曼陀羅」のようなイメージは人間関係や生態系を多様な視点から捉えるもので、表面的な成果、利潤などにとらわれない、多様なあり方を認めていく必要性が示唆されている。
2021年9月26日@温泉寺